歌って踊るだけじゃない、映画大国インドの今 ラージクマール・ヒラニ監督に聞く

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歌って踊るだけじゃない、映画大国インドの今 ラージクマール・ヒラニ監督に聞く

2016年10月27日 | 出典:CEATIVE VILLAGE

(前略)
現在のインドの映画業界は、この100年の歴史の中で一番良い時期だと思います。と言うのも、いろいろな客層に響く映画が作られるようになったからです。例えば15年前はラブストーリーやアクションがメインで、どの映画にも踊ったり、歌ったりのシーンがありました。でも今は年間1000本超が制作される中で、踊って歌うシーンはなく、スリラーやファンタジー、ホラー、人間ドラマに特化したものなど、本当にいろいろなジャンルの映画が作られていて、それが観客にも受け入れられています。
作品の多様性に加えて、マルチプレックスで多くのスクリーンを持つ劇場の数も増えて、マーケットの成長を肌で感じますね。興行収入の面でも、ハリウッド映画よりもインド国内で制作された映画の方が良い成績を収めていて、今、映画を作るにも見るにも良い時期だと思います。

ラージクマール・ヒラニ
1962年11月22日ナーグプル生まれ。
ハートウォーミングな作品によって観客を笑いと涙で包み込むボリウッドが誇る超人気監督。大学時代の演劇活動を経て俳優を目指すが、ムンバイの俳優養成学校では挫折を経験し、故郷ナーグプルに戻る。父の勧めでプネーの国立映画・テレビ研究院に進学を決めたものの、当時は俳優コースが廃止されていたため、編集コースに入学する。
卒業後、編集の仕事から広告業に転向。その頃、監督・プロデューサーのヴィドゥ・ヴィノード・チョプラと出会い、彼の監督作品『1942・愛の物語』(93)の予告編とTV プロモの制作を担当する。
それ以降2人の共同作業が続く。2000 年には、チョプラが監督してヒット作となった『アルターフ 復讐の名のもとに』の編集を担当し注目を集める。
2003 年、チョプラ製作により『Munna Bhai M.B.B.S.(医学生ムンナ・バーイー)』で映画監督デビューを果たす。ヤクザの兄貴分ムンナがひょんなことから医師を目指すというこのコメディは、現代の医療のあり方や医学部教育を痛快に風刺しており大ヒットとなった。この作品以降ヒラニ監督作品では、主人公に害をなす権威主義者をボーマン・イラニが演じる、という図式が定着する。
2006 年の続編『Lage Raho Munna Bhai(その調子で、ムンナ・バーイー)』では、再びヤクザの兄貴分・ムンナが登場。憧れの美人DJ に会うためにガンジーの思想を勉強し始めたところ、ムンナにガンジーの姿が見えるようになる、という奇想天外なコメディ。本作もまた大ヒットとなり、ガンジー復古ブームを引き起こした。
2009 年には『きっと、うまくいく』を発表。学歴社会のインドに一石を投じた本作は、当時のインド映画歴代最高の興収をあげ、インドのアカデミー賞といわれるフィルムフェア賞の監督賞など多くの賞を受賞。インドのみならず世界中の観客から愛される作品となった。

ラージクマール・ヒラニ 主な監督作品

「PK」

「きっと、うまくいく」

「フェラーリの運ぶ夢」


関連情報リンク

映画「PK」公式サイト

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